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2018年日々鬱々とバディファイト

平素よりお世話になっております。

ご無沙汰ぶりです。りゅうせーです。

この日記長いです。適当に流し読みしてください。

飽きっぽい僕が飽きもせずツイッターだけは常に更新しておりました。

そんなツイッターもほぼ休止状態となり1週間くらいになります。

先日、アップロードしたイラストに対する少々スパイシーなご意見を全く心構えがないうちに見てしまい完全に心が折れたのが発端でした。今だから言いますけどモチベーションのために結構病的にエゴサーチをするタイプでした。エゴサには壁打ちや、投稿テスト用に使っていたアカウントを使ってました。もちろん不用意にネガティブに当てられないようにブロッキングも施していたり。

ある日、そのアカウントにログインしながら「あ、そういえば〇〇さんに連絡先送らなきゃ」と思い、面倒臭いのでりゅうせーのアカウントのホームのアドレスをコピペするため「りゅうせー」と検索して無事ホームからメアドをサルベージし、そのままウィンドウを放っておきました。しばらくしてメイン垢に入ろうとした瞬間うっかり呼び捨て検索をかけたままログアウトしてしまい、おそらくミュートかブロックしてたであろうアカウントがポロリと表示されたのです。(落ち着いたあとこうやって書きながら分析すると俺めっちゃアホだなww)

いつもだったら単純に怒って終わるんですけど、その意見がやはりどこか芯を食っていたのか世界が終わるくらい悲しくなってしまって完全に心とモチベーションがふさがってしまいました。それに関係する人、物、事が全部敵に見えてしまったし、傷つきの瞬間最高風速的にはここ数年でも記録的な台風レベルだったので、なんかのはずみでフラッシュバックしてもいけないと思い、本アカウントでも関連ワード、関連アカウントを全部ミュートしてトレンド表示もアメリカのトレンドワードを表示させるように設定を変えました。合間を縫って行こうと思ったイベントもキャンセルして仕事だけするようにしてました。

その間いろんなことを考えました。

今まで結構散々なこと言われてきたけどなんで今回はこんなに傷ついたんだろうかとか、あの人はどういう心境でどれくらいの温度感でああいうことをしたんだろうかとか、この人何してる人なんだろう、こういうことを書いているけど道端で俺が落とし物した時とか「落とし物しましたよ」って教えてくれるような普通に生活してる普通の人なのかもとか、だったら怖いなとか、あとまあ単純に実力が足りなかったのを直接強い言葉で指摘されてしまって図星だったのが悔しかったんだろうな自分。とか。

結論としてはツイッターにかける時間をなんとか減らすことにしました。

僕には発端となる人と比べてたくさん応援してくださる方と優しい声をかけてくれる方が居るのにネガティブな意見にばかり反応していたら応援のしがいもないだろうなと思ったのと…

単純にお前はツイッターのしすぎだ。

ということに気づいたからです。呟いたら反応がリアルタイムで帰ってくるスピード感のある承認欲求の解消は自信がなくプライドが高い僕にとってまさに麻薬のようなコンテンツでした。いつでも誰かが見ていてくれていいねという数字で返ってくる「何か満たしてくれている感」はとても充足感がありました。

ただ、大方この世の快楽というのは慣れと飽きをもって薄れていきます。そうするとさらなる肯定意見を求め自分から動いてしまいます。これが多分エゴサの起源ですね。自分史における。

それとは逆にたまに訪れるスパイシーな意見は大層響きました。多分この心が動く高低差が激しかったからこそ今回のように落ち込んでしまったんでしょう。

ここまで書いて気づくのがこの一連の流れ

全くもって何の一切も生み出してないんです。

お前の仕事を言ってみろ。作家だろうが。こんなことしてる場合があったら絵を描け。何かを生め。動画などを作れ。それをサボって肯定意見探して気持ちよくなろうとしたから伸びた鼻を折られたんだろうが。因果応報じゃ。

ということで傷もだいぶかさぶたになってきたのでこんな風に考えるようになってきました。

しかし問題が……年末進行でただただ忙しかったというのもあり、ツイッター接触の時間は減ったものの、触らないうちに何を呟けばいいかよくわからなくなってしまったという典型的なやつに陥ってしまいました。

昔、僕はこれを友達に言われ「ツイッターなんてなに書いたっていいんだよ」と答えておりましたが、よく考えてみると意味のないことを発信して承認欲求を得るというなんとも不思議な構造に全く気づけていなかった気がします。友達はこれに戸惑っていたんだな。

いいねがつくと誰かに認められたという免罪符や「これは仕事の一環でもある」みたいな謎の達成感も出てしまっており、生活の時間の大部分をツイッターに割いていたなと感じています。

ただ、こういう仕事をしている以上ツイッターは仕事の窓口になったりもするのでぶっきらぼうな感じにならない程度、あと死に垢ではないのを伝える位にはツイートはしたい。

何呟いたらいいんだろうなあ。

文章を書く欲求が満たされるというのも一つあったような気もします。

自分にとって文章はなんとなく作品に近い位置付けにあって、絵や動画とは考えたことや思ったことに対するアウトプットの違い程度に捉えていたりします。にしてもやっぱり140字で大した内容もない文章を垂れ流すのは生産性がないなと思ったり。だったらと思い久しぶりに長めの文章を書こうかなと思いブログを引っ張り出してきました。10ヶ月ぶり。帰省中でやれることも限られてるし。年末だしね。

みなさん2018年はいかがでしたでしょうか。

僕は1年の最後に今回のような究極レベルの鬱が来たのでかなり曇天なのですが、一つ一つゆっくり思い出すとかなり充実した一年だったように思います。引越しをしたり、事務所構えたり、Vtuber活動初めたり(すぐに更新滞ったり)たくさん仕事をして、たくさんの作品を作って、何より子供の頃からの夢だった作品集を出して、サイン会などをするという「僕が思い描いていたプロ」のような体験ができました。

正直去年とても忙しくさせていただいたので「これ以上お仕事いただけることはないだろうな」とどこか思っていた部分もありましたがフタを開けると嬉しい結果だったなと思います。来年もこの調子で進めたらいいなあ。

あと2018年最大の個人的トピックスとしては「フューチャーカード バディファイト」というブシロードから発売されてる子供向けカードゲームに超絶どハマりするという大ニュースがありました。これの何が大ニュースかというと、本当に趣味らしい趣味ができたということです。このカードゲームにはまったことを期にここ数年友達なんて年単位で何人か数えるほどしか増えていなかったのが今年は一気に5人のマブダチができるまでになりました。

webカメラを使ったネット対戦を編み出し、深夜帯に終わる仲間同士で夜な夜なファイトに興じたり、貸しスペースを借りて夕方から始発までひっったすらにファイトをしたり。

久しぶりに文字通りの「没頭」を経験しました。あっという間に4時間5時間が過ぎていくのです。

仲間もみんな社会人でとても忙しい中、共通の趣味のために「いついつ空けられますか?」などの予定の調整をしたりに労力を割くのは今までの自分では考えられないことでした。

僕は予定立てて行動するのが本当に嫌いで、「〜日に〜時までに〜に行かなくてはいけない」ということを「縛り」に感じてしまったりするタイプでもあります。それがたとえディズニーや旧知の友人との久しぶりの飲み会とかでも。それを吹き飛ばすくらいにバディファイトをする時間がワクワクに満ちていて、「それまでにデッキの型を変えてみんなを驚かせよう」だとか、「こっそりこのテーマでデッキを組んでリーグ戦もってこ」とか、「〜さんのあのデッキにどうしてもこいつで勝ちたい」とかとか。

新弾の発売が待ち遠しくて日に何度もサイトを覗いたり、いい歳した大人達がコロコロコミックで解禁された情報でキャッキャ言って「〜さんがまた強くなるじゃん〜ww」とか言いながら笑いあう。みたいなこともあります。

久しく忘れてた感情でした。社会に出ると同僚とは仕事の話がメインだし、僕らみたいな作家業だと界隈の動向に常日毎アンテナを張っていなければならず、友人達とも結局そういう話になることが多く。実際それが楽しかったりもするのですが。

新しいゲームを買ってもらったら部活のない日に友達を家に招き、だらだらお菓子でも食いながら飽きもせずにズーーーっとゲームをし「誰々も呼ぼうぜ」って言って携帯も無いので家電にかけたらそいつの親が出てきて「〜君いますか?」みたいなこと言ったり「コントローラー持ってくんの忘れないでね」と付け加えたり。

そんなかつてのストレスとは無縁な日常がまた帰ってきてくれたような気がしてとても嬉しいです。

数あるカードゲームでなぜバディファイトにはまったのでしょうか。

きっかけとしては僕の入り口はアニメにあります。「モンスターと人間の子供」というコンテンツは今年29歳僕が小学校の時期に始まった「ポケモン」「デジモン」などのワクワクの原体験の結晶となる要素です。そういった意味でバディファイトには以前から目をつけてました。しかし、その時点でアニメが4期に突入、子供向けの朝アニメなので一年スパンでもあり、1期分見るのには60話近い話数を見なくてはならず、なかなか入れずにいました。

しかし今年の6月くらいにアニメシリーズ5期となる「神バディファイト」がスタートしました。

新シリーズとなるこの神バディファイトは4.5期まで続き通算200話以上で続けた主人公が交代する完全切り直しのお話でした(今までの主人公の子供が主人公なので世界は一緒なのですが)。というわけで見始めたのですが…

すごい面白いんですよこれ。

僕は自慢にもなりませんが本当に「一つの物語を継続して鑑賞」するのが大の苦手で、面白いと感じたものでもついつい数週間飛ばしてしまったりするのです。しかし、神バディファイトは毎週が楽しみで仕方ないくらいお話が面白いんです。今は他の期も履修してるんですが、お話だけでいうと群を抜いて最新の5期が面白いです。今作の悪が悪として描かれるまでには数週時間がかかるのですが、その描写が子供アニメでやるような展開では無いんです。理由付けが非常に視聴者にわかりやすく、さらにカードゲーム描写という一見ストーリー進行を阻害してしまいかねないファクターもきっちりとストーリーに織り込まれており舌を巻いてしまいました。何よりカードゲームがすごいおもしろそうなんです。

そこからカードゲーム自体にも興味が出てきて始めてみるとこれがまた奥の深いこと深いこと。

興味が無い方はここから多分ずっとカードの話なので閉じてもらって大丈夫です。

バディファイトのカードはそれぞれドラゴン・ヒーロー・エンシェント等、いくつかの「ワールド」に分かれており、プレイヤーは使いたいワールドの意思表示となる「フラッグ」を掲げそのフラッグカードに書かれたワールドのカードのみでデッキを構成します。(特殊なものもありますが)

これがコロコロホビー世代としてはアツい!!

新作が出てまた盛り上がってるスマブラとかでもみなさん口にしたことはありませんか?「〜使い」という言葉。かようにも男というのはこの「〜の使い手」という言葉にビシバシとロマンを感じてしまうものなのです。

それぞれのワールドはカードにも統一された個性があります。これがまた不思議と偏ってきます。性格によって使うカードがわかりやすく変わるのもこのゲームを仲間内でやる楽しさにつながってくるのかなと思います。ちなみに僕は打撃力をあげたり何回も殴って殺す脳筋デッキが組みやすいワールドに偏ります。

さらに表題にもなっている「バディ」も自分の好きなモンスターを設定出来、ゲーム中では「バディコール」という少し特殊な召喚ができます。これもバトルにはほぼほぼ直接関わりの無い要素ではあるのですがゲームに愛着が持てるのは非常に良いと感じました。

また、このゲームには「対抗」というシステムがあり、この対抗がついているカードは相手のターンにも使うことができます。僕が今までやっていたゲームはそれぞれ1ターン目は特に大きな動きをせずに終了することが多かったのですが、バディファイトは1ターン目から相手の妨害や攻撃の防御、など盤面を動かすことができたりして、非常にスリリングな駆け引きをすることができます。スピード感がある試合展開は一度やると脳にいい疲労感がありとても充実した気持ちになります。

バディファイトは互いの持ち点10点を取り合うゲームなのですが、平気で「3点3回攻撃」というカードがあったり、モンスターの攻撃とは別の直接ダメージ(バーン)が飛んでくるなどかなりダイナミックな数字の設定をしている節があります。(その分回復したり、防御を厚くする手立ても豊富です。)これがまた爽快感があるんですよね。特に仲間内で新しい超強いカードが登場したのを「こんなもん勝てねえよ〜〜〜〜www」とか言いながら対策立てるのが楽しかったりします。そのため自分のお気に入りのデッキに入るカードの強化が来るとこれでもかというくらい嬉しかったりするんですよ。

そして個人的きわめつけはカードイラストとデザインです。

バディファイトはマジックザギャザリングと同じくらいの比較的大きなカードです。大きいカードということは印刷面積が広く絵柄を大きくとることが出来ます。テキストも袋文字でのデザインになっており、説明書きに枠を取って塗りつぶさないため絵柄をあまり隠さず絵が全面に表示されています。イラストも一部以外は色々なイラストレーターさんがさまざまな絵柄で書いており、絵柄の統一はそれほどきつくされていません。そのため推し絵師を見つけたりするのが本当に楽しくて、今では〜さんかな?とか絵を見るだけで当てられるようになってきたりしました。

また、レアリティによってカードの加工が変わるのはどのカードゲームも一緒なのですが、バディファイトはとりわけ派手です。キャラクターに金縁がついたり、箔押しの加工と背景のホロにはレリーフが施されており、ザラザラとした存在感のある加工は本当に心の中の「少年りゅうせー」の物欲を掻き立てていきます。キャラだけ抜いて後ろが単色の箔押し加工された「バディレア」は場合は是非手にとって頂きたい一品です。

加工、絵柄ともに僕が一番好きなカードは「ガルガンチュアドラゴン モードダブルボディ」のバディレアです。銀色の箔押し加工がもうしびれるくらいにかっこいんですよ。あと強い。

そんなこんなで大はまりしたバディファイト。仲間と一緒に大会に出たりもしました。はじめは「知らない人とカードゲームするなんて怖い…」と思っておりました。なにせ私はコンパス晒しのタグにさらされただけでコンパスから遠ざかってしまう男。真剣に対人ゲームする人間はみんなあったまってしまってるのだと思い込んでいたのです。

しかしどうしてもいろんな人とファイトがしてみたく、飛び込んでみたところそこにいた先輩バディファイターたちはみんな本当にいい人ばかりでした。思ってみれば対面でそんなあんまりな態度とる人もなかなかいないよなって話なんですけど。もちろんみんなバディファイトが好きな人ばかりなので対戦に負けても勝っても「このカードかっこいいですよね〜」とか「アニメのあのシーン思い出しますね」みたいな会話で終始和やかに過ぎていく時間はとても刺激的で幸せなものです。

キャラがとても濃い人がいたりもしてそういう面でも楽しかったりします。一番楽しかったのは「ここの店舗では俺たち兄弟が登竜門的存在になってるんだ」という衝撃の自己紹介をしてくれた方達。あいにく僕は対戦しなかったんですが仲間が当たったらしく、普通に勝利したとのこと。と、登竜門…

今こうやって書いていても「あーバディやりてー」となるのです。最初に戻りますが僕はまだまだ弱く卑屈なので他人の評価に寄りかかりがちな生き方をしてしまいます。無駄な時間を浪費するくらいであれば趣味に没頭するのが精神衛生的に良いのだと思います。何より「好き」「楽しい」で構成された空間で生活することは何にも変えられない精神的な力の源になります。数年ぶりに友達と集まって「楽しい」に囲まれたら「〜さんよりいいねが少ないから死にたい」とか「〜さんの活躍が羨ましくて悔しくて苦しい」と感じる時間を減らすことが出来ました。

趣味や遊んでいる時間は「サボっている」と感じてしまいどうしても後ろめたい気持ちがありました。それでは心が休まらない。人を妬んでいる時間は仕事の出来事にくっついているからサボっている気がせずずっと続けてしまっていました。念力が使えるわけでもないんだから妬んでいてもその人のパフォーマンスが下がるわけでもなく悪口を言ってくる人を呪って呪詛を吐いても結局そんな人には言葉は届かないのです。悪口を言った当人なんて2秒で忘れて違う人を叩いてるんです。そう考えたら「没頭」して頭リセットしてまた仕事に向かった方がはるかに効率的です。

そんな「没頭」をくれたバディファイトに僕は本当に感謝をしています。

さー次は何のデッキつくろっかなー

来年の2月2日の新弾発売が楽しみで眠れないりゅうせー


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